アラビア人による比重の測定
アラビアで科学が発達した理由
アレクサンドリアの図書館とムーセイオンが破壊されたことによって,科学の発展は東進して,アラビアと中央アジアに移った。このように科学の中心地が移ったのは,キリスト教の支配する新しい地中海地域が物質界の現象とは別の問題にとらわれて,物質的世界観に反発した結果である。
それに対し,アラビアにおける科学の発達は,主としてマホメットの時代におこった。この時代以降に,アラビアの多様な部族を統一しようとする動きが始まったからである。イスラム軍は,宗教的情熱にかられて広大な地域を占領し,スペインにまで進軍した。イスラムの征服者たちは宗教的動機とは裏腹に,征服した国々の文化に寛大さを示したのである。そうして,領土拡大が終わるまでに,イスラム教徒たちはペルシアにおいて過去幾世紀にもわたり蓄積された学術はもとより,アレクサンドリアや他のギリシア文化の中心地からの知識を受け継いのである。
背景
当時のアラビアの社会状況では宝石に関する関心が高く,物質鑑定の1つの 手段として比重に関心をもったと考えられる。
アル・ハジニ「知恵のはかりの書」(12世紀)より,
金 19.05 水銀 13.56 銅 8.66 鉛 11.32 海水 1.041
血液 1.033 鉄 7.74 7.32 サファイア 3 .96
ルビー 3.58 エメラルド2.6 真珠2.60 湯 0.958 氷点の水0.965オリーブ油0.92 牛脂 1.110
彼が考え出したはかりは,5つの皿をもっている大気・水中両用のはかりで ,1つの皿は目盛りのある竿にそって移動させる事ができた。また,空気も浮力 を物体に及ぼしていると考えられていた。
ここで,湯と氷点の水の比重があげられていることから,水の密度の温度に よる変化について気が付いていたことがわかる。
また,13世紀にかかれたある論文では,はじめて”比重”という言葉が使われている。
参考文献 物理学のあゆみ